日本ワインの歴史

世界に比べると、日本におけるワインの歴史はまだまだ浅いといえますが、それでも今やマニアというほどのワイン愛好家がたくさんいます。

そうなるまでにどうやってワインが広まったのか。また、日本ワインの成り立ちは?といった、日本におけるワインの歴史について紹介します。

日本にワインはどうやって伝わった?

ポルトガルから日本に入ってきたものたち。

日本にそもそもワインが伝わったのは、1549年のこと。宣教師フランシスコ・ザビエルが、島津家15代当主 島津貴久に献上したのが始まりだとされています。

最初はミサ用に用いられるだけだった葡萄酒ですが、赤ワインを意味するポルトガル語の音から「珍陀(チンタ)酒」と呼ばれるようになり、戦国末期の武将たちの間で嗜好品として親しまれるようになっていきました。

商人から徐々に知られるようになるワイン

1859年に横浜港が開港すると、西洋のものがいろいろと日本に流入してきたことで、武将たちだけでなく、商人たちもワインを飲むようになります。

こうしてワインに興味を持った商人の一人に、小澤善平がいました。

彼は鎖国政策の中でアメリカに密航し、ブドウの栽培やワインの醸造法を学びましたが、幕府から追われている間は日本に戻れず、開国後の明治時代になって日本に戻ると、アメリカから持ち帰った果菜の種や苗を植え、高輪と谷中に農園を開いたものの結局失敗。

しかし、ここであきらめずにブドウ栽培を続けた小澤は、自身でもワインの醸造を試みます。1882年に再度渡米し、現地で1年間ブドウ栽培の研究をしたのちに帰国すると、群馬県妙義町にブドウ園を開きます。

この土地に数百種のブドウの苗を植え付け、土壌の研究や接ぎ木の技術、肥料、気候研究などを行います。

ワインづくりにおいては結局成果を得られなかった小澤でしたが、日本におけるワインの歴史や発展に、この人物が大きく寄与したのは間違いないでしょう。

試行錯誤のワインづくり

明治時代の神戸の港に船が着いているところ。
明治時代の港の様子(攝州神戸海岸繁栄図 [長谷川貞信(二代目), 文明開化の神戸古版画集より]

明治時代初期になると、殖産興業政策の一環としてワイン醸造を政府が推進していく中で、ワインづくりに情熱を傾ける人々が現れます。

1870年(明治3年)には、山田宥教(ひろのり)と詫間憲久(のりひさ)が山梨県甲府市に「ぶどう酒共同醸造所」を設立。ここから本格的なワイン醸造の歴史が始まっていくかと思いきや、こちらも思うようにはうまくいかず、廃業の憂き目に遭います。

その後、1877年(明治10年)、「祝村葡萄酒会社(大日本山梨葡萄酒会社)」が設立されました。

この会社から二人の青年、高野正誠(まさなり)と土屋龍憲(りゅうけん)がフランスに派遣され、本場のワイン醸造を学んで帰国。

二人が帰国するのを待ってワインの醸造を始めたものの、ヨーロッパとの風土の違いから、持ち帰ったブドウの苗木も病害に侵されうまく育たず、やはりワインづくりがとん挫すると、祝村葡萄酒会社の経営も成り立たなくなり解散。

しかし、フランスに派遣された土屋龍憲と弟の土屋保幸はそこであきらめず、一緒に派遣されるはずだった宮崎光太郎とともにワインの共同醸造を始めると、甲斐産商店を開き、本格的な販売に着手します。

1890(明治23)年になると、宮崎光太郎は一人で経営を引き継ぎ、新たな醸造場を整備し、器具などの改良も重ねることで、生産効率や味、品質も改善することに成功します。

しかし、焼き魚にお漬物にお味噌汁といった、昔の日本食には、渋みのあるワインの味がそぐわなかったこともあり、試行錯誤を重ねてワインの醸造を試みても、なかなか普及には至りませんでした。

その頃、浅草の神谷バーの創業者である神谷伝兵衛が発売した、「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」という輸入ワインに甘味を付けた甘味ワインというものが流行します。

その流れに乗っかる形で、国産ワインを使った甘味ワインがヒット。これにより業績を盛り返した宮崎は、それまでの甲斐産商店を、のちのメルシャン株式会社のもととなる大黒葡萄酒株式会社に組織も社名を変え、さらに業績と知名度をアップさせます。

また、神谷伝兵衛は1903年(明治37年)には茨城県牛久市にブドウ園、牛久シャトーを完成させ、ブドウの栽培からワインの醸造までを手掛けるようになります。

こうした先人たちの努力の積み重ねから、日本国内でも問題なく品質のよいワインができるようになっていったわけです。

全国的なワイナリーの広がりと日本独自のブドウ

マスカット・ベーリーAがぶどう棚になっているところ。
マスカット・ベーリーA

宮崎光太郎が甲斐産商店の経営を引き継いだ頃、新潟では「日本ワインブドウの父」川上善兵衛が岩の原葡萄園を開設します。

当初はほかのブドウ園同様、海外から輸入した苗木を植え付けてつくっていましたが、日本の気候に合わずなかなかうまく育ちません。

そこで1922年(大正11年)からはブドウの品種改良を開始。結果、日本の気候に合うブドウを数多く開発し、マスカット・ベーリーA、ブラッククイーンをはじめとする22品種を世に出すことに成功します。

こうした日本の気候風土に適したブドウが生まれたことで、日本ワインの歴史が大きく前進。

今でも川上善兵衛が生み出した品種のブドウを使ったワインが、日本各地で数多くつくられています。

まとめ

今でこそ、スーパーやディスカウントストア、酒屋などに行けば、世界各国のワインから日本ワインまでさまざまな銘柄を選ぶことができますが、こうなるまでの道のりはとてつもなく長く、平坦な道ではありませんでした。

日本ワインの歴史を紐解くと、そこにはワインづくりに命を懸けた人々の情熱の物語があります。

失敗に失敗を重ね、苦労の連続でもあきらめない先人たちの努力の賜物と思うと、日本ワインの味わいも違ってきそうですね。